2015年12月17日

故郷のような味

これはどこの国のキッチンだと思いますか。炊 飯器は見当たらず、あるのはクルディスタン(注 1 )のフライパンやラオスのもち米用蒸籠。それぞれ形が異なる 5 組のすり鉢とすりこぎ棒は インド、メキシコ、日本、インドネシア、タイの もの。セットの食器はありません。横一列に並ん だ東南アジアの木や陶のお椀もばらばらです。こ れはキッチンの女主人が、毎日違うお皿に盛りつ けることを楽しんでいるため。ここはカナダの トロントにあるナオミ・ドゥグッドさん(Naomi Duguid)の自宅で、これまで幾度となく賞に輝い たレシピ本 7 (注 2 )を作り上げた秘密基地で もあります。


世界にもっと関わっていきたいという思いか ら、ドゥグッドさんは弁護士を辞め、カメラマ ン兼ライターになりました。映像と執筆の仕事 を楽しみつつ、ベリーダンスやアカペラでの歌 唱を習う時間も大切にしています。「たぶん、ど れも完璧にできるようにはならないと思うけど、 幸いプロになる必要もないので。」と笑います。 チベットやミャンマー、イランが世界に向けて 扉を少し開いた時、ドゥグッドさんはすぐさま 現地に赴き、多種多様な食文化に出会い、家庭 料理の記録をとりました。世界の豊かさを賞賛 し、食文化の国境を取り去ったのです。

この 30 年、ドゥグッドさんはあま り知られていない食べ物や地域につい て書いてきました。パミール高原やカ ラコルム山脈を自転車で走り抜けたり、 一組の幼子たちと東南アジアで川下り したりと、いつも好奇心の赴くままに行動しています。現在はタイとミャン マーの辺境へ行く食の旅(Immerse Through Trip)のガイドをし たり、大学で食物史の講義もしていま す。物事の真相を突き止める記者では なく、フレンドリーな旅行者として、 立ち止まり、周囲の景色を観察してい ます。観光スポットや名物料理にとら われることなく、気ままに異郷を巡り、 料理に出会い、立ち止まれば、そこが 彼女にとっての故郷になるのです。

食材や調理器具、調理方法、燃料。誰が調理し、どのように、誰と食べるのか。これらはその環境で暮らす知 恵を示すもので、やがて食文化となる。あつあつのモンゴル蒸餃子がもうすぐ出来上がる。中身は羊肉に、モ ンゴルチーズと酸菜(酸っぱく漬けた白菜)を加えたもの。一方、チベットの蒸餃子(「饃饃(モモ)」とも呼 ぶ)は主にヤクの肉を包む。1985 年中国を旅したドゥグッドさんは、弁護士を辞め、異郷の一般家庭のキッチ ンへ入っていった。新疆ウイグル自治区やモンゴル、雲南、貴州、チベットなどで、北京料理や上海料理とは 違う中華料理を探求しているのだ。彼女はジェフリー・アルフォード(Jeffrey Alford)さんとの共著『もう一つ の中国』(Beyond the Great Wall: Recipes and Travels in the Other China)の中で、少数民族の食文化を描き出している。(写真/ Naomi Duguid)


 まだ夜が明けきらない早朝、燭光がミャンマーのシッポーの街を温める。人があふれる市場で、行き交う人は朝 の祈りをする僧侶に暗黙のうちに道を譲る。ドゥグッドさんは 1980 年代、初めて戒厳令下のミャンマーを訪れ た。その後も訪問する度、この狭い門がこれ以上開くことはないと思っていたが、2010 年に半世紀近く続いてい た軍事政権が終わって、ようやく人々には笑顔が見られ、心の扉も開かれてきた。メコン川を船で上流へと遡り、 ビルマ族やシャン族、カチン族、カレン族、チン族などの多様な民族料理で出会ったすべての美味、すべての経 験を凝縮したのがレシピ本『ミャンマー:馥郁の流れ』(Burma: Rivers of Flavor)である。(写真/ Naomi Duguid)


 レシピ本の中で、料理の味につい て、食材のみならずキッチンのにお いや彩り、音、そしてライフストー リーといった面からも書かれてい ますが、どうしてそのような方法で 執筆しようと思ったのですか。
一番興味があるのは、普通の人たち が毎日どうやって、自分と家族のお腹 をいっぱいにしているのかということ です。この世のすべての人間は、それ ぞれ独立して生きている一方で、互い に依存し、民族、国家などを成してい ます。各々の環境で生きていくために さまざまな工夫が生まれ、それが文化 を形成しました。人々がどのように生 活しているのかを知りたい、理解した いというのが私の出発点です。音楽や 手工芸でも文化を知ることはできます が、時にはなかなか出会えないことも あります。その点、人は毎日食べなくてはならないので、食は非常に実際的 ですし、形のあるものです。そこで食 べ物を通して世界と関わっていくこと にしたのです。例えば、メキシコの暮 らしにはトルティーヤが欠かせません。 以前、現地の女性に作り方を尋ねたと き、彼女たちはそんなことも知らない のかと驚き、絶対私に教えてやらなけ ればならないと思ったようです。でも、 私は気にならなかったし、むしろ教 えてくれたことに感謝しました。おた がいがより完璧になるために助けたい、 と思うが人間なのです。特に女性同士 では。本に書かれているトルティーヤ の話は、ここまで話さないと最後まで 話したことになりませんよ。


 上:2009 年から、ドゥグッドさんはタイとミャンマーの辺 境で、地元のお母さんにシャン族料理を習う旅をガイドして いる。西洋人のメンバーをアジアの伝統的な市場に放り込み、 食材を調達させる。事前に渡されるのは食材のリストだけで レシピはないので、メンバーは「手、眼、耳、心」を使って 集中していなければならない。
下:滑らかな口当たりにするため、包丁 2 本で食材を細かく 刻んだり(タイ語で「laap」)、すり鉢で香辛料をすりつぶす のはタイ北部の料理ではよく見られる調理法。真剣に観察し、 何度も練習すれば、体の記憶に深く刻み込まれる。(写真/ Naomi Duguid)

素朴で平凡な普段の食事こそ忘 れられないものですが、ドゥグッド さんの感情や記憶を最も呼び覚ま す食べ物は何でしょうか。
ちょっと考えさせてください。たく さんあるので。一番古い記憶でいえば、 母が焼いてくれたトーストにバターと マーマレードを塗ったものですね。少 しの苦みがゆっくりと口に広がって、 本当においしかった。あとはお米です。 昨夜のご飯の残りでチャーハンを作っ たり、炒めた青菜と炒り卵をごはんに 載せれば、それだけで気持ちが和む「和 み飯」(heartyfood)なんですよ。朝こはんに食べても落ち着きますし。嗅覚 は私の「どこでもドア」みたいなもの で、においが直接、記憶の奥深くに連 れて行ってくれます。例えば、ネズの 木が燃えるにおいをかぐと、細い煙か天に昇っていくように、魂だけが体を 抜け出してチベットにいるように感じ たり、香辛料を鍋に放り込んで匂いが 広がってくると、バンコクにいるよう な気分にもなります。五感、特に嗅覚 に注意を向けることができて、とても ラッキーだなと思っています。

1950 年代にオタワで育った労働法専門の弁護士 ドゥグッドさんは、かつてアメリカ大陸の人々は、 食といえばヨーロッパの宴席料理にしか興味がな いと感じていた。ヨーロッパかぶれ(Europhilia) の風潮の中、ペンとカメラを持ち、世界各地の忘 れられた伝統文化や家庭料理のために彼女は立ち 上がる。法学部の学生だった頃から使い続けてい る金属製のフライ返しから、自分がなぜ手動の調 理道具に惹かれるかを語る。また手でニンニクを つぶすことができたら、調理器具なんていらない。 できる限り食べ物と人の温度を楽しんで感じるべ きと彼女は語る。(写真/ Laura Berman)

お米にとても興味をもっておられ、 ヨーロッパやアジアで米食文化を探 す旅では、台湾にも来られました。台 北の印象を教えていただけますか。
21 年前に初めて台湾を訪れました。 わずか 4 日という短い間でしたが、バ スで近郊のお茶園に行ったり、市内を 散策したりしました。その頃は高層ビ ルも少なく、街もそれほど慌ただしく なくて、西洋人がたくさん中国語を学 びに来ていましたね。街歩きがとても 楽しく、廟に行ったり、食べ物の屋台 のにおいを一軒一軒楽しんだりしま した。濃厚な漢方のスープや、種類が 豊富なお茶は特に気に入りました。ト ロントの冬には、台湾の隣人が作って くれた牛肉スープを飲むと、当時出会った食べ物の記憶がはっきりと思 い浮かびます。多様な中華料理を食べ たいなら台湾しかないとおっしゃる 方は多いですが、わたしもそう実感し ています。

アメリカ大陸のトウガラシやジャガイモ、トマト、ピーナッツ、 トウモロコシなどが世界に広まる前から、ペルシャ文明と中華 文明はすでに頻繁に交流があり、イランの小麦粉とアプリコッ トは中国に、中国の桑の葉も外に伝わっていた。クルディスタ ンは米が主食だが、その米食文化はイランとは異なる。ジョー ジアやアルメリア、アゼルバイジャンの自然環境は中国の貴 州と似ているが、文字や言語体系は全く違い、3 ヶ国とも旧ソ 連の国ではあるが、温かいおもてなしの精神を持ち、果樹園 やチーズ園、ブドウ園が点在している。2016 年秋出版のドゥ グッドさんのレシピ本『ペルシャの味』(Taste of Persia: A Cook's Travels Through Armenia, Azerbaijan, Georgia, Iran, and Kurdistan)では、こうし たあまり知られていないペルシャ文明の地での食の千夜一夜物 語が語られる。(写真/ Naomi Duguid)

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(注 1 クルディスタン(Kurdistan):クルド人の土地という意味。トルコとイラク、イラン、アルメリアの4国にまた がる山岳地帯の自治区。人口は台湾の 1.5 倍で、面積は台湾の約 10 倍。

(注 近年出版された『Burma: Rivers of Flavor』では、これまでベールに包まれていたミャンマーの食を紹介し、国際料 理専門家協会の旅のレシピ本部門賞(IACP Cookbook Award)と、食のオスカーといわれるジェームス・ビアー ド賞(James Beard Awards)にノミネートされる。また、ジェフリー・アルフォード(Jeffrey Alford)と 6 冊の共著 があり、うち 4 冊はジェームス・ビアード賞を受賞した。2016 年の秋には、ペルシャの食文化に関するレシピ本Taste of Persia: A Cook's Travels Through Armenia, Azerbaijan, Georgia, Iran, and Kurdistan』を出版予定で、イランやク ルディスタン、ジョージア(旧グルジア)、アルメニア、アゼルバイジャンの食について執筆している。

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